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念願

念願なんですね。



お店を開けて3週間で良く聞く言葉だ。

その時は皆一様に店内を一周ぐるりと見渡した後に仰る。

素直に嬉しく思う反面、念願という言葉の意味をその度に考える。



確かに、ジャズ屋の親父になりたいと思ったのは21歳の頃だったので10年越しの想いではあった。

だが、その時は当時のパートナーと"結婚して一緒にお店をやる"事を考えていたので、色々と状況が変容して独り身の今になっては、その願いを叶える事にはなってない。

そう言った選択が出来なかった事、過去の自分にすまなくは思っている。


では、何故ジャズ屋の親父になったのか。

…暫し考えるが、適切な答えは出ない。


こう言ってしまうと、どう取られてしまうか解らないが、色々な事柄を経て行き着いた先な気もする。

そう意味ではジャズ屋の親父に"なってしまった"といった表現が正しいようだ。


ここから何が起こるのか、検討もつかないけれど。何かが少しずつ良くなれば言うことは無い。



そう考えると

私の念願はまだ先にあるようである。


店主

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