店主の思春期は、それはそれは暇だったもので、本を読む時間に殆どを使っていたと思う。(音楽は聴いていなかった)
今も昔も新書の類いは得意になれず、当時から古い純文学をなるべく時間をかけて読んでいた。
この頁達が最後までいってしまい、また暇になる事を恐れていたのかもしれない。
このような日々を過ごしていると、周りからは本好きと認知され、その前提で接してくる人も増えしまっていた。
私はそんな事をしたこともないのに、言葉の間違いを指摘されそうで怖いとも言われた事が何度もある。
別に、なんでもいいのに。
よく"間違った日本語"というジャンルを作る人がいる。
頭痛は痛がってはいけないし、全然はあってはいけないし、違和感は感じてはいけない。そういった言葉だ。
この間違った日本語、と言うものを店主はある種の愛を持って接している。
なぜ、頭痛は痛がってはいけないのだろう?同じ文字を重複するのが駄目ならば、なぜ々という文字が存在するのだろうか。
代々木は代木が正解で、正々堂々は正堂が正解で、久々は久と言わなければいけないのでは無いだろうか。
おそらく人生の中で"その言葉、おかしいですよ"と言われ、おかしいという常識を植え付けられているのだろう。
その指摘こそ、胡乱なものかもしれないのに。
店主が空手を習っていたとき、大会中に右手と右足を同時に出して行進していた事があった。勿論、皆に笑われて父親からは拳骨を貰った。
とても恥ずかしかった事を覚えている。
でも、あの時の自然がその歩き方だったのだから、いいじゃないかと今は思っている。
人の不勉強を笑う知恵者より、自然な間違えをする白痴の方が美しい、のかもしれない。
今日は涼しかったので、何かから逃げるように外のベンチに座って夜空をぼーっと眺めていた。明らかに空は廻っていた。地球は廻っていなかった。
それが嘘でも。それでいいのではないだろうか。
嗚呼、今日は本当に仕事に追われていて、こんな事を書いている場合ではないのだ。
頭痛が痛い。
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